
みなさま、おはようございます。
先日、東京に戻ってきました。
今まで一度もなかったのですが、どうやら今回は影響あったみたいです。
海外経験はあるのですが人生初の「時差ボケ」のようです。赤道を二回越えるとなるのでしょうか(笑
こんなにきついものだと初めて知りました。
さて、期間的にはそんなに長くない渡航でありましたが距離的には長く体感期間も長かった今回の文化交流も終了し日々の就業についています。
先日、渡航の理由をブログに記しましたが、その後のポルトガルのレセプションのお話を記したいと思います。サンパウロに続き画家Odamaki先生のコーディネーター兼通訳のためにカサブランカ経由でリスボンに入り、さらに約1時間かけてポルトガルの第四都市であるセトゥーバル市に。
同市にて5/18~6/22まで開催される「JAPAN EXPO-Japanese Today’s Visual Art Exhibition」

セトゥーバル市が制作したCM
市をあげたプロジェクトだということは到着し地元の方々の先生に対する対応の手厚さからすぐにわかるほど。また五月初旬の安倍 晋三首相のポルトガル訪問直後ということもあり日本に対する注目度も高かった(500年近い日本とポルトガルの歴史の中で,初めての総理の訪問であった)

近年観光に力を注ぐセトゥーバルでのレゼプションはサンパウロ以上に政治色が強かった。
地域復興、いわゆるアートレジデンスといわれるアートでの町おこしであるが、それ以上の活発な国際交流の場となっていた。
先生曰く、カンヌをモデルにしているのではないかとこのと。セトゥーバル市では映画祭に力を入れ、観光学校を作り、ギャラリーを整備しているところからそれを汲み取れる。
地域復興、いわゆるアートレジデンスといわれるアートでの町おこしであるが、それ以上の活発な国際交流の場となっていた。
先生曰く、カンヌをモデルにしているのではないかとこのと。セトゥーバル市では映画祭に力を入れ、観光学校を作り、ギャラリーを整備しているところからそれを汲み取れる。
オープニングレセプションパーティーが始まる前には高田墨山先生による書のデモンストレーションがあり、地元民の生活の中枢となるMercado do Livramento(市場)で行われた。
馬郡文平代表代理、在ポルトガル特命全権大使の東氏、マリア・ダイス・ドーリス・メイラ市長、フェルナンド·アントニオ・バプティスタ・ペレイラ氏(リスボン大学美術学部准教授、美術史家、セトゥーバル博物館責任者)や前回のスペイン展の関係者、ポルトガルの芸術委員会委員長、次回のベルギー・オランダ展関係者などの挨拶から始まったオープニングレセプションパーティ。市内にある4つのギャラリーを使用した大規模な展覧会の幕開けである(同市でこの4会場使用する大規模な展覧会は初めて)
46回目にあたる今回の展覧会は毎年行われEUを中心に世界各国で開催されてきた。
昨年はスペイン、来年はベルギーで開催され、世界各国から「ぜひ開催してほしい」と声がかかる展覧会なのだ。街の至る所には今回の展覧会のポスターや告知が貼られており、フリーペーパーも日本一色。
昨年はスペイン、来年はベルギーで開催され、世界各国から「ぜひ開催してほしい」と声がかかる展覧会なのだ。街の至る所には今回の展覧会のポスターや告知が貼られており、フリーペーパーも日本一色。

メインステーションの近くには巨大ポスターまであった。
地元の誰に聞いてもこの展示を知っているという事実を前入りして宿泊したホテルの支配人、マネージャーから従業員全員、入るカフェやレストラン、ショップで会話し先生のポストカードを渡し「この展示のために来たんだ」と話した時のリアクションで気付いた。セトゥーバルでは2つのホテルで滞在したが両方ともに対応が手厚く、先生を含め日本人作家に対しての注目を感じた。

町の至ところにこの看板が設置されていた
地元の誰に聞いてもこの展示を知っているという事実を前入りして宿泊したホテルの支配人、マネージャーから従業員全員、入るカフェやレストラン、ショップで会話し先生のポストカードを渡し「この展示のために来たんだ」と話した時のリアクションで気付いた。セトゥーバルでは2つのホテルで滞在したが両方ともに対応が手厚く、先生を含め日本人作家に対しての注目を感じた。

話はかわるが町のカフェではご年配のマダムたちが毎日お茶(エスプレッソ)をしながら会話を楽しんでいるのですが
ヘアスタイルがブローやセットで決まっていて格好もおしゃれでとてもかっこいい。
ヘアスタイルがブローやセットで決まっていて格好もおしゃれでとてもかっこいい。
話を戻し、日本でもアートレジデンスが町おこし、地域復興に力を発揮していますが、ここセトゥーバルで見たのはその地域復興に隣国の芸術関係の方々が参加し、国際交流していることだ。(アートレジデンスについては後日ブログに書きたいと思います)




日本のアートが選ばれる理由も肌で感じました資源がなく、軍隊もない日本が「(国の)孤立を絶対にゆるさないグローバルという世界基準」の中で存在を維持するには多大な努力が必要なことを感じることができないくらい日々平和な日常で満たされている私たちの生活
プラジルではアートシーンをふくむ経済を引っぱり、
ここセトゥーバルでは政治も動いている。
アートを利用することの賛否を問うことほど無駄なことはないが、
ここセトゥーバルでは政治も動いている。
アートを利用することの賛否を問うことほど無駄なことはないが、
時代を超え、人はアートに感動したり、心奪われたり、数えきれない人々が人生を捧げてきた。
人間よりも長く世に残るチャンスがあり、人間よりも丁重に扱われる可能性をもつが、それはほんの一部。
その数少ない形に残っているアートの背景には多大な人々の人生が眠っていると思うと
アートがどうこうなどと講釈たれることがどんなに無利益なことで、人の尊厳に触れることだということを感じざるを得ない。
現地での報道リンク
・http://www.mun-setubal.pt/pt/noticia/setubal-mostra-arte-japonesa-atual/2203
・http://www.distritonline.pt/arte-atual-do-japao-inauguracao-de-exposicao-em-setubal/
・http://www.distritonline.pt/arte-atual-do-japao-inauguracao-de-exposicao-em-setubal/
伊澤 Izmo 昌高