
To be in mourning・・・喪中
昨年末の12/26、私を育ててくれた祖母「 伊澤幾代 ( 94歳 ) 」が他界し、49日間、喪に服しておりました。
今頃、日本のために戦った祖父と一緒にゆっくりと、穏やかに過ごしていることを心より願っています。

仕事締めの28日は急遽地元「紀州」にて家族葬。伊澤家一同が一斉に全国から集まりました。
一度東京に戻ってきて仕事を納め、そして年始は鳥居をくぐれないので伊澤家先祖代々のお墓がある高野山へ供養の旅。

ちなみに私の地元はこんなところ
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出典:ウェブマガジンgreenz.jpより
育ての親といっても私には両親がいますが共働きだったため、祖父と祖母に育ててもらいました。
とくに祖母には「おばあちゃんの子」と言って懐いていたと聞かされます。
約3年前の
祖母からの突然の電話は今でも鮮明に覚えています(→その時のブログ)
ハサミを置いて新しい事業をスタートさせるときに
私の未来を応援してくれた方々の一人。 (もちろん応援の反対もいっぱいあるわけで笑)
祖父、祖母は山の民で、私の記憶があるころもまだ、ほぼ自給自足。
自然の中で生きて行く術をしっており、私も見よう見まねで小学校に入る前には斧を振り回し、刃物を戸石で刃物を磨いでいました。
自然の摂理から
世の中の道理を見せてくれていたのかもしれません。
祖父、祖母が見せてくれたことは、
ここ東京という地で生きる術として
昇華されています。
おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう。
昌高はここ東京で頑張ってます!